かわいい映画が観たくて借りたつもりだったんですが…。
タイトル好みだなーと手にとって、ジャケ裏見たら、まあ映ってましたよね血まみれの男の人が。
そしてあらすじも、不穏なものがありましたね…でも直感を信じて観てみることにしました。
ただし私は忘れていました。タイトルに惹かれて観た映画の勝率を。
「籠の中の乙女」のメインキャラクターとも言える、「長女」はとある夫婦の三人の子供の内の一人です。「長女」は「次女」と「兄弟」と一緒に、外界から隔離されて育ちました。結構、いい年齢に見えますが、中身は小さな子供みたい。
どうして夫婦が、子供たちに名前もつけず、言葉の意味をまったく別のものとすり替えて教え、世間から隠すように育てていたかは語られず。そのくせ、父親だけは外との繋がりを持っていたり(まあこれは、仕事して外貨を稼いでいるだけでしょうが)、中途半端に文明を与え、あまつさえ「兄弟」と呼ぶ「長男」には、性欲処理人員として外界から女性を雇って与えている。その女性が原因で、完璧だった世界が崩れていくのですが…
まあ不気味。
文明を知った「長女」が、自分自身に名前をつけてみたり、映画の登場人物のマネをしてみたりする部分だけは微笑ましいんですが、ほかの要素が、気持ち悪い。よそはよそ、うちはうち。という言葉って便利だなあ、と思う。
「父親」によって、統率された世界は、それだけなら完成しているのに、わざわざ外の世界を招き入れるような真似をするから、家族の世界の異様さが際立っている。普通の人が生きる常識が一切通じない。
父親の同僚が一瞬だけ、「奥様はつらい目に遭って…」心が壊れてしまった風なことを喋る。ああ、じゃあこれは母親の願いなんだ、この人が全ての元凶なんだと思ったけど…父親も狂ってた。狂気という言葉が、とても似合っている。
家族だけならよかった。
彼らだけで生きていれば、近親相姦があろうと百合があろうと、小動物虐待があろうと…彼らだけの世界観なら何の問題もなかった。だって「父親」がそれを許すから。
でも観てるこちら側としたら、ただただ不気味。非道とさえ思う時がある。嫌悪じゃなくて、じわじわくる不快感。「ある視点」とはよく言ったものだ。完璧すぎ。
「この家を出るときは、上の犬歯が抜ける時」と教えられていた子供たち。犬歯なんて早々抜けるもんじゃない。「生え変わった時は、車の運転を習う時」。そんな日は一生来ない。つまりそういうこと。
この教えを頭に置いた長女が、鉄アレイで自身の犬歯を殴るシーンがあるのですが、見てるこっちが痛い!!!でも長女は嬉しそう。血まみれの笑顔。これから自由になるんだ、と言っているような…。でも今までずっと隔離されて、社会のことを何も知らない彼女が、まともに生きていけるんだろうか…。観終わった後まで不安が続く作品でした。
父親が文明をもたらした、長男の「愛人」をビデオデッキ?か何かで、何度も殴打するシーンが、淡々としているのにやたら怖かった。世の中は広いから、色んな人がいるんでしょうけど、それにしても気味が悪すぎた。
彼は一体何と戦っていたんだろう。一応、子供たちには「自分で何でもできる強さ」を身に着けてほしい~みたいな事を言っていたけど、それだったら山中でサバイバル訓練でもした方がよかったんじゃないか?そしてゆくゆくは、ソニー・ビーンみたいになって旅人襲うとかして生計を立てる。違う映画になりますね。
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